2013年6月1日土曜日

【体験談】 胆石、魚の目、シミの回復例

『通慧』1992年1月号より
M.Tさん

世にも不思議な物語り

突然の不幸に襲われた時に「奈落の底につき落される」という言葉が使われるが、私自身がその経験者になるとは!
いつの間にか、誰もいない病院の風呂場にとび込み、タイルの上に立ったまま、体がそれこそ、深く、深く沈み込んで行ったのである。
それは、昨年(一九九〇年)八月初旬のことだった。
」医大付属病院のナース・ステーションで、外科のY医師から「大腸にポリープがあります」と言われ、私は思わず「それは悪性のものですか、良性ですか」と聞き返したところ、先生は「残念ながら悪性です」とはっきり宣告された。「ただし、初期のものなので、手術でポリープを削除すれば、治す可能性はあります」と言われた。それからどうやってナース・ステーションから出たのか、いつの間にか、前述の風呂場のつめたいタィルの上に立っていたわけである。
覚悟を決めて、同年八月中旬にY先生による手術を受けた。当日、午前八時半に病室から移動寝台車で手術室に運ばれ、手術を終えて集中治療室に入ったのは、午後四時半ごろで、麻酔準備時間を除くと、約七時間半に及ぶ長時間手術であった。
その年の夏も終りかけの九月下旬に退院するときには、普段は七十四キロあった私の体重は、六十四キロに減り、日焼けしていた顔は灰白色になり、完全に病人然とした体になっていた。
自宅療養を始め、体力をつけるため、散歩をし出したのであるが、近所の奥さんと顔を合わせ、あいさつを交わすとき、私は、以前と同じように、気持ちだけは、さっそうと歩いている積りであるが、その歩き方は下腹部に力が入らなく、弱々しく、顔色も悪く、多分、相手方は心中びっくりしていたことと思う。
手術後の体力の回復はままならなかった。顔色は冴えなく、皮膚の色はドス黒く、やや黄色味を帯び、健康の人の明るい肌の色に比べ自分が仲々良くならないのに、あせりを感じ始めていた。

そんな折り本年(1991年)三月下旬ごろ、妻がIさんという友人が「気功」というのを始め、その母親も「気功」を受け、効果があったので、私にもどうか、という誘いの話があった。私は近代科学のもとに拓かれた西洋医術以外の医療は信じていなかったので相手にしなかった。しかし、妻はとにかく試しに「気功」を受けて見ては、と熱心に何回となく私を誘った。体力の回復のはかばかしくなかった私は、妻の執拗なすすめに「それでは、藁にすがって見ようか」とようやく腰を上げたのは、今年の四月下旬のことであった。
実は退院の際に、担当のY先生に、私は愚間と承知しながらも「転移はあり得ますか」と聞いたところ「再発しないよう、十分の手術をした積りですが、転移するかしないかは“神のみぞ知る"です」と言われ、この言葉が頭の底に残っており、不安の毎日を送っているところであった。
それから国際気功協会の于先生の気功照射を三カ月間、毎日受け、四カ月日に入ってから、気功照射の日を少し減らすかわりに、気功入門コースで、通慧功の勉強を始めた。
その間病院で、五月下旬ごろ、エコー(超音波)の検査を受けたところ、「あなたは、胆嚢に一センチ角位の胆石があります。入院の手続きを進めて下さい」と言われた。私は「自覚症状がないので手術は勘弁して下さい」と言ったところ、先生は、「それでは入院は保留ということで、いつでも緊急なときは、手術ができる状態にしておきましょう」と言われ、私はまた暗い不安な日々が続いていた。
本年の十月中旬にいたり、病院のCTとエコー(超音波)の検査を再び受けることになった。検査を始めるうち、エコー検査の若い先生が私の腹部に検査用の突起物を当てながら、首をかしげ、年輩の先生のところに相談にいき、年輩の先生は特に念入りに私の腹部にその突起物を強く押し当てながら、思わず、「ないじゃないか!」と私にも聞こえるようにつぶやいた。それは私に話かける気は毛頭ないもので、驚きに近いつぶやきであった。
私は思わず「気功をやっていますので」と口走ってしまい、先生は「えっ?」と聞き返して来たが、私は簡単に理解してもらえるはずがない、と思いなおして、口よどんでしまった。その日から四、五日後の担当医の正式の私への検査結果の発表は「CTそしてエコーの両検査とも異常ありません」ということだった。
担当の先生は「胆石に効く薬が効果を出しているのかも知れません」と言われたが、実は、その薬は二週間前から服用を開始したものであり、そんなに効く薬があれば、世の中に胆石を手術する必要はなくなっているはずである。
私の気持ちは晴れた。最近は、大分血色も良くなって来ている。それは、驚く程と言って良い!
最後に更に2つの不思議な出来事があったことをお伝えしたい。一つは私の右手の甲に直径三センチ大の赤茶けたシミがあったのが消えたこと。二つ目は、左の足の裏に、約二十年来あった、かなり痛みを感じていた魚の目が跡かたもなくなっていることであった。